ぼくのやっていることというのは、いわゆる「教育ビジネス」的な範疇に入ると思うのですが、個人的には「教育」という単語は、ちょっと上から目線の響きが満載ですので、なるべく使わないようにしています。
プロフィールをご覧いただいた方はお気づきかもしれませんが、ぼくの肩書きというのは、実は「プログラミング講師」でも「プログラミングインストラクター」でもなく、「プログラミングサポーター」なんです。
「教師」とか「教師」とか「インストラクター」というのは、「上から教える」ということですよね。
そうではなくて、ぼくは「サポーター」ですから、「横から支える」という考え方に則ってやっているんですよ。
「そんな細かいことこだわってどうするねん!?」という話ですよね。
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もくじ
この講座を取っていただいた方が成長していくための機会を提供する
でも、ぼくのやろうとしていることは、この講座を取っていただいた方が、成長していくための機会を提供するという考え方でやってるんですね。
人というのは、「もともと特別なオンリーワン」という歌がありますけれども、あれですよね。
ぼくに出来ることもあれば出来ないこともある。
方や、みなさん方が出来ることもあれば、出来ないこともあると。
そういう個々人の凸凹を補い合いながら、社会全体としていい方向にやっていく。
だから、ぼくの出来ることとして、プログラミングがお相撲さんでいうと前頭7枚目くらいのところはありますので、それを成長するための機会としてお渡しするという考え方でやってるんですね。
この講座に限らず、何か教育的なものを受ける時に、受け身の状態でただボーッと座って「教えてもらう」というマインドで受けるのと、能動的に「自分で学んでやる」という意欲を持ってやるのとでは、全然違うということなんですよ。
この講座の主役は講座を提供するぼくではなくて受けて頂くみなさんである
ですので、ぼくがなぜ「サポーター」と名乗るのか、「インストラクター」とは名乗らないのかという理由は、
あくまでこの講座の主役は、その講座を提供するぼくではなくて、受けて頂くみなさんである
ということが言いたいからなんですね。
受けて頂くみなさんが「やるぞ!」という気概を持って自ら学んで頂く。
そういう意味で、ぼくの講座の目指すところは何かというと、みんプロ式から巣立ってもらって、ご自分の知的好奇心をどんどん膨らませて、よりご自分の力で新しいことを自律的にいっぱい学んで頂く人になってもらうということ。
そういう人がたくさん出てくれば、ぼくの元にお客さんが残らなくても、ぼくにとっては成功ということなんですよ。
どういう風にアプローチをさせてもらえれば、そういうことが出来るのか。
教育の根幹とは、結局人をやる気にさせるかどうか
これは、定年退職してから保育園を作ったというツワモノであるぼくのおじいちゃんが居たんですが、そのおじいちゃんが常日頃言っていたのが、
「教育の根幹とは、結局人をやる気にさせるかどうか」
ということだったんです。
だから、教える中身もさることながら、それ以上に
「その人の心に火を付けて、いかにやる気にさせるのかということが大事なんや!」
ということを言ってたんですよ。
ぼくもこういう商売をすることになるとは思っていなかったので、当時はよくわからなかったのですが、このことをやり始めてから「なるほどな〜!?」と実感してるんですね。
もちろん、スキルを身につけることも必要ですから、当然しっかりとしたカリキュラムを作ってやってはいるんですが、それ以上に、いかにしてみんプロ式の講座を受講して頂く方が、生きていく上で心に火を付けてやる気になって、自分の力で新しいものを作っていこうという気になって頂けるか。
「こたえのない時代」ではスキルでも才能でもなくて「やる気」が出せるかどうかの一点にかかってる
今の時代というのは、よくも悪くも時代の変わり目ですから、今までの既存のシステムとか考え方とかが、どんどんと崩れていく時代になっている。
ぼくの言っていることも、多分10年後には全然違うことになっているでしょう。
今までは、「答え」というのは自分の外側にあって、誰か正しいことを言ってくれる人の意見にくっついていけば物事が解決するという時代でした。
しかし、これからはそうじゃなくて、何が正解かわからないから、自分の力で考えて、自分で答えを出して、それを実行していくことをやっていかないといけない時代になっていく。
そして、その原動力は何かというと、それはスキルでも才能でもなくて、実はそれをやる意欲を持てるか、つまり「やる気」が出せるかどうかの一点にかかってるということなんですね。
ですから、このみんプロ式の講座では、受講生の方に「こたえのない時代」を生きていくために一番必要な「やる気」をいかに持って頂くことができるのかということを、無い頭を捻って考えながらやらせていただいているということでございます。