「みんなのプログラミング by Telulu LLC(以下、「みんプロ」)」にお越し頂きまして、どうもありがとうございます。

私は、15年間勤めた大手金融機関をアラフォーで退職。「主夫」を経験した後に、現在は「金融」とはあまり関係がなさそうな「プログラミング」の分野で起業したという、ちょっと変わった経歴を持っています。

やや長文になってしまいますが、お時間あれば、以下をご覧頂き、私の人となりがフィットするかどうかをご判断頂いた上で、当社のサービスをご利用頂ければと思います。

 

生意気にも独立を意識しはじめた入社4年目

 

私が社会人になったのは2000年の4月。誰もが名前を知っているであろう、大手金融機関に入社しました。

入社当初は、大学生の頃に描いていた社会人像と実際の仕事とのギャップに悩みつつも、それなりに充実した社会人生活を送っていました。

その頃は、独立起業を意識したことはなく、むしろ会社の中で理想的なポジションを獲得することを意識して生活していました。

そんな自分に独立を意識させたのは、入社4年目のことです。

その年に「半沢直樹」でおなじみの金融庁検査が入ったことで、会社の空気が一変してしまいました。

当時の金融庁検査は、今のような「対話重視」ではなく、まさに「取り調べ」のようなもので、トップ以下会社全体が震え上がる、非常に厳しいものでした。

このお上の「ご指導」のおかげもあってか、以後会社の管理体制は非常に充実したものになっていきました。

一方で、それと引き換えに、それまでは、それなりに新しいことにチャレンジ出来ていた環境だったのが、「コンプライアンス」の名目で、ほぼ何も出来なくなってしまいました。

完全な減点主義に陥ってしまい、新しいことに挑戦することがはばかれる風土となってしまったのです。

もちろん、堅実に仕事をする人にとっては、しっかりした管理がなされる環境の方が良いと思います。

しかし、自分は型にはまったことをすることがあまり得意ではないようで、このような風土に、あと何十年も身をおくことが自分にふさわしいのか、疑問を感じるようになってしまいました。

このまま会社に依存した人生では、自分はダメになってしまう。若くて血気盛んだった私は、生意気にもそう強く感じてしまったわけです。

 

 

「レール」を外れる勇気が持てず荒れた20代後半

 

だったら、さっさと会社を辞めて独立すればよかったのですが、残念ながら、当時はそんな勇気を持ち合わせてはいませんでした。

私は、自分で書くと非常にイヤらしいのですが、いわゆる「いい大学を出て、いい会社に入る」という「レール」に乗っかってきた人間です。

「『レール』に乗っかる」というのは、はたから見れば「うらやましい」と思われるかもしれません。

しかし自分の場合は、そのウラに、いつまでも「偏差値」にしがみついて、人と比較しないと自分の自尊心が保てないという、弱い内面が隠れていました。

そんな弱い人間だから、「『レール』を外れる」という選択肢を取ることが出来なかったのです。

自分に本当の意味での自信が持てないものだから、なかなか外に飛び出すことができない。

そこで、それまでは投資の勉強しかしてこなかったのですが、その頃から、外に飛び出す代わりに、お金や人生設計やプログラミングの勉強を始めるようになりました。

しかし、当時の自分はまだ若かったせいもあり、その頃立てた目標は、「お金持ちになって豪遊してオーストラリアに永住する」などというもので、自分が豊かになって「勝ち組」になることしか考えていませんでした。

そんな淡い目標を描きながらも、外に飛び出して実行する勇気がなかったので、悶々とした思いを抱きながら、会社に居続けることになりました。

その期間、様々な人間関係の試練に遭遇しました。

内容が物々しくなるので、ここでは詳しくは書けませんが、人生で一番荒れていた時期でした。

20代後半の私は、公私ともども本当にタチの悪い人間だったと思います。

 

 

人生で一番しんどい経験をした米国での2年間

 

そんな荒れていた私でしたが、人生摩訶不思議なことが起こるもので、奇跡的に結婚して子供も授かることが出来ました。

そして、2009年の春に、当時提携していた会社に出向する形で、米国に赴任することになりました。

前の部署に7年間も在籍していたことで、ちょっと天狗になっていた自分にとって、米国では天国から地獄に落ちる経験をさせてもらえました。

英語が全く話せない、かつ仕事の経験もない、しかも日本人がほとんどいない。そんな環境に放り込まれ、恐らくこれまでの人生で一番しんどい思いをしました。

もともと人付き合いが得意でないせいもあってか、妙に社交的な米国の文化にもなかなか馴染めず、日本に帰りたいと思った回数は数知れません。

しかし、このしんどい経験のおかげで、これまで自分にとって最大のコンプレックスであった英語を克服できたことに加え(今はもう全部忘れてしまいましたが、、)、「謙虚」の大切さも知ることができました。

人間万事塞翁が馬。出来事は起こるべくして起こることを理解し始めた時期でもあります。

 

 

痛い思いと子供がもたらしてくれた価値観の大転換

 

また、この米国での2年間は、これまでの自分の価値観を転換させられる大きなターニングポイントとなりました。

米国での生活は、日本にいる時よりも、時間に比較的余裕が出来たので、色んなことをじっくり考えることができました。

これまでの自分は、亡くなった祖父が熱心に送ってきてくれていた、「致知(日本で唯一人間学を学ぶ月刊誌と言われている雑誌)」や、生き方を指南した手紙などを半ばスルーしていました。

私が金融の世界に足を踏み入れたときも、「地に足をつけてコツコツやれ」「世のため・人のためになることをやれ」とのご訓戒を頂いたのですが、当時血気盛んだった私は、「自分が儲けて『勝ち組』になって何が悪い!?」とイキがってしまい、右から左に流してしまっていました。

それが、米国で色々痛い思いをして、30を過ぎてようやく、「生き方」や「心」の問題にも目を向けられるようになりました。

ボストンの雄大な自然にも触れることで、都会でお金を儲けて豪勢な暮らしをするという、これまで自分が抱いていた価値観にも疑問を抱くようになったのです。

さらに、子供の存在も、自分の価値観転換に大きな影響を与えました。

子供が生まれるまでは、どちらかと言うと、親になって子供を育てるということを面倒なものだと思っていました。

しかし、いざ触れ合ってみると、不思議なことに愛着がわいてくるのです。

自分は比較的冷たい人間で、「愛」や「情」などからは程遠い人間だと思っていましたが、こんな自分に「愛」を認識させてくれる子供のすごさに感激させられました。これは忙しい日本では味わえない経験でした。

しかし、そんな幸せな時間も長くは続きませんでした。

 

 

極度のストレスによってもたらされた家族崩壊の危機

 

2年後、再び日本に戻ると、仕事の忙しさから週末しか子供に会えない状況になりました。

以前の自分であれば、何も感じなかったかもしれませんが、米国での生活で価値観を転換させられてしまった私にとっては、耐えるのが非常に難しい状況でした。

生活のためとはいえ、この状況が、自分が自分らしくいられる環境なのか、また自分や家族にとってあるべき姿なのか、疑問を感じるようになってしまったのです。

我が家は、こともあろうか子供が3人。しかも、よめも自分も故郷が関西なのに、仕事の関係で関東に住んでいるため、親に頼ることが出来ない。

結果、3人の小怪獣たちの世話を、よめが一手に引き受ける状況が続いてしまいました。これがどういう結末を招いたかは、想像に難くありません。

一方、私は私で、会社の仕事が精神的にも肉体的にもキツく、ストレスがピークに達してしまい、家族に温かい心で向き合うことができなくなっていました。

さらに、子供は子供で、そんな疲弊した親のネガティブな波動を、物理的にも感情的にも受け取ってしまうことで、問題行動に拍車がかかる。

まさに、家族全体が負のスパイラルに陥ってしまい、もはや「環境」を変えないと、家族が崩壊してしまう状況にまで追い込まれてしまったのです。

 

 

そして「レール」を外れる選択肢しかなくなった

 

「環境」を変えるということは、会社を退職して故郷の関西に戻ること、つまり「レール」から外れてしまうことを意味していました。

10年以上その勇気を振り絞れなかった自分からすれば、それは土台無理な選択のように見えました。

しかし、そのときの私は、もはやそうするしかありませんでした。家族崩壊の危機を打開するためには、「レール」を外れることしか、自分には選択肢が残されていなかったのです。

こうして、この危機的な状況に「追い込まれ解散」させられる形で、意図せずして「レール」から外れることになりました。

これまで築いてきた社会的地位や肩書きが一切なくなった「まっしろ」な状態となり、まさに「脱線の人生」を歩み始めたわけです。

 

 

「主夫」生活によって浮かび上がった自分の醜い人間性

 

故郷の関西に戻ってからしばらくは、小学校に入学したばかりの子供や家族全体の生活を安定させることが第一でした。

ただ家族を立て直すことに必死で、いわゆる「主夫」的な生活を送っていました。いずれ社会復帰をすることがあるにしても、「起業」ということにまでは、考えを及ぼす余裕がありませんでした。

皮肉にも、結果として「望み通りに」日常的に子供との時間を持つことができるようになったわけです。

この「主夫」生活は、自分にとって決して悪い感じではなかったのですが、一方で、ものすごく大きく、かつ根源的な課題を私に突きつけてきました。

それは、「人間力」が全く備わっていない、自分の醜い姿との向き合いです。

「子育て」とは、字面こそ「子を育てる」と書きますが、その実は親子で学び合う「双方向の育て合い」です。

子供と接する中で、親も子供に人として育ててもらっています。子供の純粋な所作から、大人になる過程で失った素朴でやさしい生き方を教えてもらっているのです。

しかも、子供には「社会的地位」や「肩書き」は一切通用しません。子供には「人間性」でしか勝負できないのです。

この「主夫」生活は、自分の醜い「人間性」を如実に浮かび上がらせるものでした。

大手金融機関の管理職という「肩書き」の鎧を外した自分の本当の姿は、短気で・嫉妬深く・ケチで・思いやりがないという、「人間力」がゼロの実に醜い姿だったのです。

 

 

「人」としてもう一度やり直し

 

会社に勤めている時は、「社会的地位」や「肩書き」を人格と勘違いしてしまいます。「偏差値」や「出身大学」を人格と勘違いしてしまうことと同じです。

私は、高校受験からほぼ30年近くに渡って「弱肉強食・適者生存」という「競争論理」の中にいたこともあって、「人のために尽くす」「困った人を助ける」「みんなで力を合わせる」といった「協調論理」とは無縁の世界で生きてきました。

本当は、社会に出たら「競争」よりも「協調」の方が生きていく上では大切なのですが、自分のおかれた環境に流され、大いなる「勘違い」をしていた。

社会的地位の上昇と反比例するかのように、自分の「人間性」は大幅に低下していたのです。

この「不都合な真実」に、アラフォーになって「まっしろ」になったことでようやく気付かされました。それはまぎれもなく子供のおかげです。

私は、人としてもう一度やり直す必要があったのです。

こうして、本来であれば、もっと前に身につけておかないといけないはずの「人間力」を再構築するために、家族の力を借りながら、「生き直し」が始まりました。

 

 

ようやく「何か世のため・人のためになるようなことがしたい」と本気で思う

 

そうして、環境が変わって1年あまりが経って、家族も立て直すことが出来、社会復帰が出来るくらいまでに、自分の時間が持てるようになりました。

これまでは、夢や目標が見つかっても、「レール」から外れて実行する勇気がありませんでした。けれども、今はすでに「レール」から外れてしまっている。

つまり、意図せざるして、自分で何か新しいことを始める環境に身をおいていたわけです。

これまでは、「自分がお金持ちになって、自分が豊かになる」ことを目標にしてきました。

しかし、家族を持ち、子供と向き合い、価値観を転換させられたことで、その目標は今の自分には合わなくなっていました。

「何か世のため・人のためになるようなことがしたい」と腹の底から思うようになっていたのです。

社会人成り立てのときに祖父に諭されたことが、20年近く経って、ようやく自分の腹に落とすことが出来るようになったのです。

これは、米国でのしんどい経験や家族崩壊の危機がなければ、自分では到底起こしえない変化でした。

そう考えると、これも人間万事塞翁が馬。私たちの「危機」は起こるべくして起こったということなのでしょう。

 

 

起こるべくして起こった「流れ」に従って起業

 

自分は、アラフォーになるまで、会社の器を使わせてもらいながら、自分の力を培えさせてもらってきました。

しかし、ここから先は、自分の培った力を社会に還元して、「世のため・人のために」具体的に貢献していくフェーズに来たのではないか。

これまでなかなか勇気の出せなかった私ですが、そんな想いから、この「起こるべくして起こった『流れ』」に従って起業することにしました。

アラフォーで起業することは、普通の人から見たら「常識から外れた無謀な行動」に見えるかもしれません。

もちろん、失敗する可能性もあると思いますが、世間の常識からあえて外れて、自分でリスクを取って何かをやろうとする背中を子供たちに見せることは、無意味ではないと思います。

それは、これまで既存の「レール」の上を歩いてきた自分の内面に潜む「弱さ」を克服することにもつながるだろうし、自分も自信を持って、子供たちに思い切って自分の好きな道を進ませてやることが出来ると思います。

そういう想いも込めながら、自分のこれまで培ってきた力で、社会に貢献する挑戦をしていきたいと思います。

 

 

プログラミングを通じて、人々の人生を豊かにしたい

 

私たちの会社名である「てるる」とは、「照らす」を意味しており、「人々の心を明るく照らして、未来に向かって明るい希望を持ってもらいたい」という想いを込めて名付けました。

「ビジネスは『結果』が全て」とは言いますが、結果が手段を正当化する時代も終わりを迎えています。稼いだ「結果」も当然大事ですが、そこに至る「プロセス」も同じくらい大切にしたい。

「結果」だけを追い求めるのではなく、お客様に喜んでもらい、お客様を明るく照らして笑顔になってもらえるサービスを提供するという「プロセス」も大切にする。社名にはそんな想いも込められています。

私たちがプログラミング講座を展開しているのは、確かに世の中がコンピューターにあふれていく中で、それを動かすためのスキルがより重要になってくるから、ということはもちろんあります。

それによって、将来的に仕事に役立つスキルを身につけてもらうということはもちろん狙いの一つです。

しかし、スキルを身につけるだけでは、受験勉強と同じになってしまいます。

プログラミングは、仕事で役立つスキルが身につくだけではありません。

論理的思考力や創造力だけでなく、「助け合い」や「思いやり」の精神も育むことができ、さらには「創造力」によるアンチエイジング効果まで期待できるという、まさに心身ともに人生を豊かにする要素が詰まっているのです。

プログラミングを通じて、人々の人生を豊かにしたい。そんな想いでプログラミング事業を展開しています。

血気盛んだった頃の轍を踏まないように、焦らず・おごらず・コツコツと・細く長く、人々の人生を豊かにするお手伝いをさせて頂き、未来に希望の持てる明るい社会の実現に貢献していきたいと考えています。

最後までお読み頂きまして、どうもありがとうございました。

 

2018年5月
みんなのプログラミングby Telulu LLC
(合同会社てるる)
代表社員CEO 北川 博之

 

プロフィール

北川 博之(きたがわ ひろゆき)
みんなのプログラミング by Telulu LLC(合同会社てるる) 代表社員CEO
プログラマー/プログラミングサポーター/心理カウンセラー

略歴

大阪府生まれ。京都大学経済学部経済学科卒業。

2000年より、日本生命保険、ニッセイアセットマネジメント、パトナム・インベストメンツ(米国)で、日本株トレーダー・アナリスト、経営企画、システム開発等の業務に従事。主に日本株の売買執行・投資分析、経営計画の策定、海外投資家向け日本株営業、社内トレーディングシステム及び経理システムの開発等を行う。

2016年、合同会社てるる設立。スマホアプリプログラマーとして「新感覚脳トレアプリ・記憶戦隊オボエルンジャー」「ご当地的鉄道アプリ・関西鉄道駅検定(京阪神編)」をはじめとした、子供向け知育アプリを中心にAndroid・iOSアプリをリリース。

2017年、自身のこれまでの社会人経験・プログラミング経験・子育て経験をを基に、プログラミングを通じて人々の人生を豊かにして、未来に希望の持てる明るい社会の実現に貢献したいとの想いから、ビギナー向けプログラミングひろば「みんなのプログラミング by Telulu LLC」を設立し、プログラミングサポーター活動と心理カウンセリング活動を開始。

3児の父。

 

あだ名(ニックネーム)

3年目の浮気」がわかる世代の方からは「きーぼー」と呼んで頂いていますので、そう呼んでもらえるとうれしいです。

小さい頃は「きっちゃん」とか「きっちょむ」とか「さる(そのまんまやん!?)」とか色々。

 

できること

スマホアプリプログラミング(Android(Kotlin・Java)、iOS(Swift))
webサイト制作(Wordpress・php・html)
心理カウンセリング(心理カウンセリング・人生相談・育児相談・マネー相談等)
Microsoft Office(Word・Excel・PowerPoint/LibreOffice)を使った文書・資料作成
Microsoft Accessを使ったデータベースツール作成
Excel VBAを使った業務効率化ツール作成
Youtube/Vimeoでの動画配信
AviUtlを使った動画編集
小規模会社の会計・税務・労務・法務など、会社のバックオフィス関係のことはだいたいできます
子守り(小学生以下の子供は得意です)
よめの機嫌取り(得意ではありませんが、できないと困るので)

 

座右の銘

情けは人のためならず、廻り廻って己が身のため

心温かきは万能なり

 

目標

「上から教える『講師』」ではなく、「横から支える『サポーター』」として、一人でも多くの方に、プログラミングの最初の壁を突破する喜びを味わってもらい、心身ともに人生を豊かにするお手伝いをさせて頂き、未来に希望の持てる明るい社会の実現に貢献する。

私たちが「講師」ではなく「サポーター」を名乗る理由

  私たちは、「上から教える」ということではなくて、受講して頂いた方が「成長していくための機会を提供する」という考え方で事業を展開しています。   私たちが講師ではなくサポーターを ...

 

生態

プログラミング/読書/寺社仏閣巡り/駅・街歩きが趣味です

日曜以外は朝4時に起きますが、夜は9時過ぎには寝てしまいます

早朝ウォーキング・チベット体操・トイレ掃除が日課です

ダンス音楽(80年代・90年代)好きですが、全く踊れません

大人は苦手ですが、ちっちゃい子供は得意です(3児の父)

子供につられて「デュエマ」はじめました

心理カウンセリングもやってます(心理カウンセリング・人生相談・育児相談・マネー相談等)

 

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  • この記事を書いた人
北川 博之 (みんなのプログラミング by Telulu LLC 代表)

北川 博之(みんなのプログラミング by Telulu LLC 代表)

大阪府生まれ。京都大学経済学部経済学科卒業。 2000年より、日本生命保険、ニッセイアセットマネジメント、パトナム・インベストメンツ(米国)で、日本株トレーダー・アナリスト、経営企画、システム開発等の業務に従事。主に日本株の売買執行・投資分析、経営計画の策定、海外投資家向け日本株営業、社内トレーディングシステム及び経理システムの開発等を行う。 2016年、合同会社てるる設立。スマホアプリプログラマーとして「新感覚脳トレアプリ・記憶戦隊オボエルンジャー」「ご当地的鉄道アプリ・関西鉄道駅検定(京阪神編)」をはじめとした、子供向け知育アプリを中心にAndroid・iOSアプリをリリース。 2017年、自身のこれまでの社会人経験・プログラミング経験・子育て経験をを基に、プログラミングを通じて人々の人生を豊かにして、未来に希望の持てる明るい社会の実現に貢献したいとの想いから、ビギナー向けプログラミングひろば「みんなのプログラミング by Telulu LLC」を設立し、プログラミングサポーター活動と心理カウンセリング活動を開始。3児の父。 かなり長めのプロフィールをこちらから https://minpro.net/profile-of-ceo

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