オリンピック強行開催騒動の深部に見える時代の大転換の萌芽

今日は金環日食の日ですが、久しぶりに時局的な話をしようかと思います。

去年、アメリカの大統領選挙が盛り上がっていた時に、ぼくはトランプ支持ということで、そういうことを時折発信していたら、奇人変人扱いされました。

でも、最近になってだんだん世の中の人たちもわかってきたんじゃないでしょうか。やっぱりおかしかったんだということが。

(音声でご視聴されたい方はこちらから)

 

IOCの強行開催姿勢で明らかになったオリンピックの本当の姿

バイデン現大統領に起因する、今まで世の中の権力を手にして人々を支配していた層の人たちが、彼らの根本にある「カネ」とか「利権」というものに対して、理性を働かせる余裕がなくしがみつくというおかしな姿が出てきている。

今まで(華やかな)オモテに隠れていた本当の姿は我々が思っている以上に醜悪なものだったというのが、色んなところで明らかになってきている。その象徴が「オリンピック」という気がしているんですね。

多分まともに開催できるとは誰も思ってないんだけれども、それでもIOCの人とかはすごいですよね。「犠牲を払おうが何しようがやるんだ!」と。

これが世界中の人の神経を逆なでさせているんだけど、逆なでさせてもそう言わざるを得ないくらい、自分たちが追い込まれているということだと思うんですね。

それを、我々一般の民衆が目にしたときに、「『平和の祭典』という理念が掲げられているオリンピックって本当はこういうものだったんだ」ということに気づくわけですね。

何でも最初は立派な理念でやるんですよ。ところが続けていけばいくほど、組織も企業も腐敗していく。

大きなものがそれを維持するために当初の理念を失って腐敗していくという姿は、オリンピックがものすごい象徴的なんだけれども、オリンピックに限らず、政府も大企業にも出てきているということなんですね。

だからよくありますよね。企業のHPには立派な理念が載っているけれども、実は社長は全然そんな人じゃなくて、どうやってお客に売りつけるかということしか考えてない。とにかく売上を上げろみたいな。

そういう欺瞞が色んな分野で明らかになってきて、それを目にした我々一般の民衆がようやく目覚め始めたということですね。

 

悪い人たちが悪さをすることもお見通しだった?ぼくの考えるコロナウィルスの真実

では、それをもたらしたものは何ですかというと、やっぱりコロナウィルスなんですよね。

このコロナウィルスの起源には色んな説がありますが、前から言われているのが中国の武漢にウィルス研究所があって、そこから出てきましたと。

そこで、力のある権力のある人達が、世界の人口が多すぎるから、人口削減計画の一環として、生物兵器としてこのコロナウィルスを作ってばら撒いたという話が出てきている。

ですが、ぼくの考えとしては、その説の確からしさはそれなりに高いんだろうけれども、ただ結果として、それも含めて大いなる自然の摂理というか、そういうものの力によって、当初彼らが目論んでいた通りの状況にはならなかったというのが本当のところなのかなと。

つまり、コロナウィルスという生物兵器を作ってばら撒いたら、自分たちの意図通りに人口が減って、自分たちの権力基盤をさらに強固に出来るという風に意図してやったんだけれども、でも、結果としてはその意図とは真逆のことが起こったということなのかなと。

だから、そういう手口も含めて神はお見通しだったというのが、ぼくの中で今思っているコロナウィルスの真実(「神」という言葉が憚られるようであれば「大いなる力」とでも言うべきもの)。

それがみんなが思ってもいないくらいの新しい時代に向かう原動力として、悪い人たちが悪さをすることも含めて、神の計画にあったんじゃないかなという気が今となってはしているんですね。

本当に彼らの意図通りになっているのであれば、もっと彼らの権力基盤というのは強固になっているはずだし、こんなに政治の権威も落ちていないはずだけど、今真っ逆さまに落ちてますよね。

バイデン大統領が偽物だというのはほぼバレてるし、日本でも内閣の支持率はボロボロになっている。

AmazonのベゾスCEOも退任だし、ビル・ゲイツも離婚して、その離婚原因がなんと小児性愛のエプスタインとお友達だったと。

そして、それがトランプを批判していたCNNで大々的に報道されているというところが、何だかすごいことになっとるなと。

 

「組織」から「個」の時代への不可逆的な流れが明らかに

結局、もう力とか権力とかそういうものに依拠しているものというのは、完全に崩れる時代になっていくということですね。

そして、そこにちゃんと向かうために、IOCの重鎮が明らかに一般人の神経を逆なでするような発言をするということは、それが逆に我々の目覚めにつながっているという意味で、長い目で見るといいことなんじゃないかなという気がしています。

もちろん、そういうことを全然知らずに一生懸命練習してきた選手の方々の気持ちは察し余りある部分はありますが、ただ、このオリンピックという「祭典」自体の腐敗ぶりとは切り離して考えないといけないんだろうなと。

切り離して考えないといけないし、そこはもう不可逆的な流れになってますから、どの道この東京オリンピックを力で持って無理矢理開催したところで、これまでの「平和の祭典」というクリーンなオリンピックというものは、もう続かないと思うんですね。

力とか権威は人間性を放棄しているわけですよね。力と権威があれば、どんなに嫌な奴でも(その人の)言うことを聞くだろうということで、これまでの「組織」の時代ではやってきたけど、それはもう終わりだと。

結局最終的には、「この人の言うことだったら自発的に聞きたい」「この人と一緒に仕事をしたい・一緒にいたい」という、人間の本能的な良心・信念というか、人間性を取り戻していくというのが、これからの「個」の時代ということですね。

「個」の時代というのは、力が通用しない時代ということだから、最終的には個人の人間性に依拠するしかないんですよ。

ようやくそういう時代に本格的に入ると。そして、ここからはもう戻れないということが、今回の「オリンピックを何が何でもやる」騒動で明らかになったんじゃないかなと。

あとは、我々がそれに気づいていち早く行動するということだけかなという気がしています。

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