今日は4月の20日です。
コロナの問題がなかなか終息が見えない中、日本は休業要請をしながらも国が補償を全然してくれない状況が続いてまして、ようやく安倍さんが国民一人当たり10万円を払いましょうという風に方針転換をしました。
個人に対してはそれでいいのかもしれませんが、じゃあ休業要請を受けて実際に休んでいるお店とか企業さんはどうするんだと言った時に、やっぱり国は何もしないと。
財政のある東京都は100万です。でも、無いところはそんなに出せませんみたいなことになっちゃっていて、しかも東京都でも100万ですからね。これで安心して店が休めるのかというと、それは非常に難しいという状況になっている。
もくじ
何のために税金を払ってきたのか??ここまで来るともはや「人災」
今、非常に国民が怒っていると思うんですけれども、何に怒っているのかというと、結局
「今まで一生懸命税金払ってきたのに、困っている時に助けてくれないんだ、国は!」
ということに、国民の怒りがものすごく鬱積していると思うんですね。
何のために税金払ってきたのか!?こういうときの為にこそ税金使うんじゃないの!?
国会議員は歳費を2割削減するとかって言ってるけど、その前に国民が安心できるだけのお金を配れるようにしろやと。
実際に、財政破綻なんか「ウソ」だということはわかってきてるわけですよね。
「自国建て通貨は、いくら借金したってデフォルト(財政破綻)にはなりません」と財務省は自分で言ってるんですからね。
日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。
マクロ的に見れば、日本は世界最大の貯蓄超過国
その結果、国債はほとんど国内で極めて低金利で安定的に消化されている
日本は世界最大の経常黒字国、債権国であり、外貨準備も世界最高
だったら、なんでお金配ることやらないの??こういう時にこそやるんじゃないの??というはずなのに、政治家もエリート官僚も一切動かないわけですね。
これに対して、国民がものすごい怒っていると思うんですよ。
例えば、休業要請をやっている米国とかヨーロッパを見ると、もうお金が振り込まれているらしんですよね、ウン百万円単位で。
だから、これだけ補償してくれるんだったら安心できるから、感染を防ぐために休みましょうという風になりますよ。
対して日本の場合は、「お金は出しませんけど休んでほしいな〜」という、なんかものすごく曖昧になされていて、「何だそれは!?」という感じになっている。
そして、休んだ人は蛇の生殺しで、安倍さんなんかは、何かよくわかんない優雅なコラボ動画流して「頑張りましょう」なんて言っても「頑張れるか、この野郎!」という感じになっちゃってズレズレなんですよね。
こういう国難に、本当は政治家とかトップエリート官僚とか、東大法学部出まくってる人がですよ、何もしてくれないという状況に対して、結局何がおかしいんだろうということを考えた時にですね、こういう事態を招いてしまった大人の一員として、痛烈に反省しないといけないと思うんですね。
今の日本のコロナ対策に決定的に欠けているもの
その反省点の1つは、やっぱり権力をチェックしないといけないということですね。
ちゃんと権力をチェックしないから、なんか「諸外国では休業補償やっている国なんてないから(日本も)やりません」という、ネットで調べたら1秒でわかるウソを平気でつくような政権を選んじゃったりとかするわけですよ。
それを選んでしまった有権者である我々の責任ですよ。
ぼくは自民党には入れてませんけれども、それでもやっぱり有権者の一員として、ちゃんと権力を監視するということをやらないといけないということですね。
それともう1つは、学歴とか社会的地位とか、そういうことだけで人間の出来不出来を測ってしまっていたという、この日本の社会に対する痛烈な反省が必要なんだろうということだと思うんですね。
今のこの国難に対して必要なことというのは、学歴でもIQでもなくて、「困った人に対して手を差し伸べることのできるハートのあたたかみ」なんですよね。
それが、政治家とか東大法学部を出ているトップエリート官僚の方々に備わっていさえすれば、たぶんさっさと金をばら撒くという話になってると思うんですよ。
でも、それが「財政規律が・・・」とかわけわからないことを言って、一向にお金を出そうとしないわけですね。
これ、同じ状況になっている例えばアメリカとかヨーロッパと比べてみたら一目瞭然ですよ。これが決定的に日本に欠けちゃってたんだなと。
ただ、政治家とか官僚というのは社会の縮図の1つでもありますから、結局我々が学歴とか社会的地位を重んじ過ぎて、本当に育むべき「心」を育んでこなかった結果が、これを生んじゃってるんだなと。
これも、大人として強烈に反省しないといけないなということだと思うんですね。
第2のコロナ人災が生まないために、偏差値教育の弊害から脱却しないといけない
「心を育む」というのは、戦前の「天皇陛下万歳」ということじゃなくて、国家権力を重んじる心の育み方じゃなくて、困っている人には手を差し伸べるという至極当たり前のことですね。
これは受験勉強・偏差値教育の超弊害ですよ。
誰かを押しのけて、自分がのし上がって「イエイ!」というメンタリティ。それを持ったまま大人になっちゃってるからこうなってるんですよね。
蹴落とされた人たちの気持ちがわからないまま、権力だけ持っちゃったということなんですよ。これが一番大きいですね。
令和は「マインドの時代」ということを兼ねてから申し上げていますが、それは「自分の人生を主体的に生きる」という意味でもそうだけれども、ぼくも痛烈に反省しないといけないのですが、1つのトロフィーをみんなで奪い合って蹴落としてのし上がっていくという、受験の偏差値教育の弊害から脱却しないといけないということだと思うんですね。
これは即効性のある話じゃないんですけれども、これをやっていかないと、なかなか日本は辛いことになりますね。同じことが繰り返されると思いますね。
もちろん切磋琢磨をするというのは、自分の能力を高める意味では大事だと思いますが、誰かを蹴落として自分が勝てばいいということじゃなくて、「Winner takes all」じゃなくて、ちゃんと負けた人も救ってあげる。そうしないと、みんな幸せにならないだろう?という当たり前のメンタリティですね。
これを育んでいくという風に、教育の軸を変えていかないといけないですね。
「競争」から「協調」のメンタリティに転換し「答えのない時代」にみんなで勝てる方法を見つける
今、やれ「21世紀的スキル」とか言って、これからは答えのない時代になるから、自分の頭で考えて答えを導き出すための論理的思考力とか創造力とかを育むのが大事だと言われています。
それは確かにそうなんだけれども、そのさらに深いところのメンタリティの部分で、「競争」のメンタリティを変えずに習得するスキルの部分だけ変えちゃっても意味がないんですよね。
今までは、誰かを蹴落として自分が勝つという競争社会のメンタリティの中で暮らしてきましたが、そうじゃなくて、「協調」の方に行かないといけない。
そのために、「答えがない」と言われている新しい時代において必要と言われているスキルを使って、その答えを出していくということだと思うんですね。
「答えのない時代」に自分が勝つ方法を見つけるんじゃなくて、みんなで勝てる方法を見つけると。そういうメンタリティを育んでいかないといけない。
これは本当はまず、大人からやらないといけないですね。
大人からやらないといけないんだけれども、大人の中でもすでに起こっていると思うんですね。
それがどこから起こるのかと言うと、今社会のてっぺんにいる人たちからは起こらないですよ。政治家・トップエリート官僚・大企業からは起こりませんからね。
もっと、そうじゃないところからこの変化は起こります。そして、それがこれから一大ムーブメントになっていくと思うんですよね。
ぼくも目覚めないといけないですけれども、そういうメンタリティを一人でも多くの人がこのコロナ禍によって増えてくることができれば、このコロナの教訓が活かせると思います。
そういうふうなことを考えさせられまして、ちょっと内容が上から目線的な感じで申し訳ないんですが、これはぼくへの自戒という意味も込めまして、今回配信させて頂きました。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。