「令和」の時代を読み解くためのキーワードはズバリ「自由」である

元号が「平成」から「令和」になりましたが、この「令和」の時代を読み解くためのキーワードとは何なのか。

それはズバリ「自由」なんです。

「何や!?『自由』って!?」と思われるかもしれませんが、もう少し具体的に言うと、

個人が「自由」を求めていく時代になっていく

ということなんですね。

これは一体どういうことなのか。

(この音声は元号が令和に変わった直後に収録したものですが、現時点でも通じる内容と思われますので、ご紹介させていただきます)

 

「いい大学に行って、いい会社に入って、出世をする」価値観の崩壊

これまではどういう時代だったのかというと、これは兼ねてから色々申し上げていますが、

「いい大学に行って、いい会社に入って、出世をする」

ということが、特に男性において主要な価値観を占めてきたわけですね。

つまり、何か決まった制度の「レール」に乗っかって、みんなで競争して、その「レール」の終着点に一番最初に到着した人が「勝ち組」で、そうじゃない人は「負け組」という感じで、人生の選択肢があるようであまり無い時代でした。

しかし、この価値観が成立するには、「レール」が終着点まで続いていること、つまり「終身雇用」が前提となるわけですが、令和に入って、ザ・日本企業の典型であるトヨタさんが「終身雇用はもう無理」と言っている。

これはまさに大きな時代の転換の萌芽でありまして、これまでの皆が同じレールに乗って競争する価値観が、令和では崩壊するということに他なりません。

ですから、これからは、色んな人生の選択肢がある中で、自分で好きな人生を歩んでいくということが、社会全体として求められる時代になっていく。

求められるというか、そういうことができる時代になってきたということですね。

しかし、「自由」と言われると、本当に自分の好きなことをやっていいということなので、そうであるならば皆が自分のやりたいことに向かって人生を歩み始めているかというとなかなかそうはならないですよね。

それは一体なぜなのか。

 

「レール」に乗っかりたいという現象の源にある心理とは

これはもう人間の心理的な問題で、結局「自由」のウラには何があるのかと言うと、その結果を自分で受け止める「責任」というのがあるわけですよね。

何か制度やシステムが決まっていて(これが「レール」)、それに受動的に乗っかっていくような人生だと、「制度やシステムが悪いんだ」とか言って、人のせいにすることができる。

ところが、本当に「自由」に自分の生き方を選択するようになると、それによって生じた結果については、それが仮に自分にとって不本意なものであっても、否応無しに自分で受け止めないといけなくなる。

つまり、人のせいにできなくなるわけで、これは本能的に人間はイヤなんですよね。

自分で自分の「責任」を取りたくないという本能。

これが、Youtubeやブログなどの普及からも明らかなように「自由」に生きる・発信できる選択肢にあふれている世の中でありながら、学生の半分以上が公務員になりたい、まだ「レール」に乗っかりたいという現象の源にある心理なのです。

つまり、制度やシステムの問題じゃないということなんですね。

ですから、「自由」を追求する生き方をしていくためには、「働き方改革」などの制度的なサポートの面もあるんだけれども、一番重要なのは、

「自分で自分を信頼して、自分が『自由』の選択した結果に対して自分で『責任』が取れるだけの内面の強さを持つ」

ということなんですよね。

「自由」というのは、いろんな制度を壊していくという面もあるんだけれども、一番本質的な部分というのは

「人と違っても自分はOK、つまり人もOK・自分もOKというメンタリティになれるだけの内面の強さを持つ」

ということ。

そのために、自分の内面を鍛えていくこと・鍛錬していくということが、この「令和」の時代における一番大きな課題になっているということなんですね。

 

内面的な力を育んでいくことがよりフォーカスされていく

ですから、これまでは制度とかお金とか物質的なものに価値を置いてきた時代だったわけですが、結局それがうまくいかなくなっているということですね。

終身雇用もうまくいかない、色んな経済政策を取っても経済は一向に好転しない。

今の株価の上昇も、結局は中央銀行がお金を刷りまくって、自分たちで株を買って値段を釣り上げているだけの話で。

そうやって、インフレによってお金の価値が下がるということは、実はその裏にある「人の価値が上がる」ということですね。

しかし、「人の価値を上げる」ためには自分で自分の内面を育んでいかないといけない。それがこれまでの時代には無かった。

「自分に対して投資をしましょう」と言ったら、外面的なスキルを身につけることを意味することがほとんどでした。

「プログラミング講座をやっているお前が何言ってんだ!?」という話かもしれませんが、これからは、そういう外面的なスキルも重要なんだけれども、内面的な力を育んでいくことがよりフォーカスされていくと思います。

ですから、今はスピリチュアルというと、ものすごく怪しい雰囲気満載ですけれども、あれが西洋を中心に段々と科学的に証明されてきている。

科学の歴史というのは、今まで人間が胡散臭いと思われていたことを胡散臭く無くするという作用がありますから、これから心の働きとか精神世界的なもの、つまり目に見えないけれども内面を育んでくれるものの力が、科学によって段々と解明されていく。

そうなると、人が心を育むということが、怪しい宗教的なものではなくて、国語・算数・理科・社会のように学校の普通のカリキュラムのような感じで扱われるようになっていくのではないかと思っています。

 

自由に生きるために「あなたもOK、私もOK」というメンタリティを育んでいく

今、世の中がぐちゃぐちゃな感じになっていますけれども、ぐちゃぐちゃになっているということは、これまでのシステムが制度疲労を起こしているということですから、その反対側の世界の夜明けが近いということですね。

そういう感覚で世の中を捉えていけばいいのかなと思っています。

これからは、個人が「自由」に生きていける時代になっていく。より自分らしく生きるということですよね。

でも、自分らしく生きるためには、自分で選んだ選択肢に対して「責任」を取らないといけない。

その「責任」を取るためには、「責任」を取れるだけの内面的な強さ、つまり「人と違っても大丈夫」という感覚が重要になる。

その時に

「おれはお前と違うからおれのほうが凄いんだ」

ではなくて、

「人は人で自分と違う選択肢を選んでOKだし、自分は自分で人と違う選択肢を選んでOK」

という風な「あなたもOK、私もOK」というメンタリティを育んでいくことが、個人が自由を謳歌するために必要ということに加えて、世の中全体がもう少し丸くなっていくために必要であると。

そして、そういうことを求め行動する人がすでに沢山出てきている時代になっている。

ですから、「令和」がこれからどれだけ続くのかわかりませんが、「令和」の終わりの頃にはこのような価値観がもっと一般的になっていくのではないかという気がしております。

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