3月は変化の季節です。
学校の卒業式や企業の人事異動など、4月からの次の進路に向けた「審判」が下される季節です。
そこには、希望にかなった進路に進める人たちの「歓喜」の渦がある反面、その周りには望みどおりの結果とならなかった人たちの「不満」が取り巻いています。
そして、その「不満」には、たいてい「なぜ自分よりもあいつが(合格するんだ、出世するんだ)」という「嫉妬と妬み」が伴います。
しかし、そんな「嫉妬や妬み」が心をスッキリさせてくれることはなく、そんな感情を抱いてしまう自分に自己嫌悪を感じてしまい、さらなる「不満」を募らせて終わるのが関の山です。
ぼくも、そんな嫌な経験を何度もしてきました。
では、そんなやっかいな「嫉妬や妬み」を流す方法はあるのでしょうか。
人は、何が信じられないかと言うと、実は自分のことが一番信じられませんから、他人と比較せずにはいられません。
そこで、何がしかの分野で自分が優位なポジションにあることが確認できれば優越感に浸り、それが出来なければ、劣等感にさいなまれる。
そして、その劣等感が「嫉妬や妬み」につながるのです。
であれば、「自分と他人を比較しなければいい」ということになります。よく言われる「みんな違ってみんないい」ということです。
しかし、自分に本当の意味での自信がない限り、残念ながら、人は他人と比較することをやめることが出来ません。
受験時代から他人と「競争」することで優越が決せられる状況に浸りきっているので、もはや他人と自分を比較することが第二の本能になってしまっているのです。
では、そんな「本能」のある人間が、「嫉妬や妬み」を流すためにはどうすればいいのでしょうか。
実は、その秘訣が「今目の前のことに自分の力を出し切る」ということなのです。
「今目の前にあること」に「自分の力を出し切る」ということは、自分がその目の前のことに「没頭」することになります。
「没頭」するとそのことと一つになりますから、「余計な思考」が浮かび上がる余地がなくなります。
「嫉妬や妬み」は「余計な思考」ですから、今目の前のことに没頭することで、その入り込む余地がなくなるというわけなのです。
ここでポイントとなるのが「今目の前にあること」です。これには事の大小は一切関係ありません。逆に事の優劣を判断してはいけません。
別に大きな仕事でなくても、皿洗いでも自分の身の回りの掃除でも何でもいいのです。むしろ、いわゆる「小さなこと」の方が、効果があるかもしれません。
今目の前にあることに没頭すると、余計な思考が入り込まず、自分の力を出し切ったという「充実感」が得られます。
この充実感というポジティブな「感覚」がポイントで、この感覚を持続させることが出来れば、「嫉妬や妬み」が入り込む余地はなくなります。
逆に言うと、「嫉妬や妬み」が沸いてくるということは、今目の前のことに全力を注いでいないという自分からのメッセージなのです。
これも1円もかからないし、カウンセラーも要りませんよ(笑)。