ぼくもそうなので、人のことを偉そうには全く言えないのですが、昨今はファーストフードなどもあんなに流行っていて、色んなものが簡単に手に入る時代になっています。
かつ、自分で何かアウトプットを生み出す必要がなくて、インプット過多の生活になっていっている。
そうなると、「あれくれ、これくれ」の「くれくれ星人」状態になって、結果をさっさと求めるようになってしまう。
もちろん、時代の変化が速いからというのもあるのでしょうけれども、だんだんと世の中というのが、簡単に結果を得られるものをありがたがる傾向、どんどんと面倒くさいものを避けていっている傾向にある。
これは、投資の世界で言ってみたら、投資したものを1年間で「やーめた(売却して手仕舞いする)」と言っているようなもので、10年間持っていたら、(複利の効果で)自分の投資した100万円が倍になるものが、たった1年間でやめてしまうと、10万円の儲けにしかならないというようなものです。
つまり、簡単に出来るもの(手に入るもの)というのは、得られる成果も大したことないということなんですね。
一生懸命頑張らなあかんものやからこそ、出来たときには「やったー!!」となるわけですよね。
たとえば、オリンピックの金メダルなんかも、たった3日練習して獲れるものだったら、何のありがたみもないわけです。
そうではなくて、全てを投げ売って、何年も何年も苦しい練習を重ねた末に獲ったからこそ、あの金メダルというのはものすごく尊いものになるのです。
つまり、何でもかんでも結果だけを求めていくのでなくて、そこに至るプロセスも含めて自分の価値になる。
今までは何でも「結果が全て」と言ってましたけど、結果をつかむまでのプロセスも大切にする。そして、プロセスをしっかりと頑張るということができれば、大きな成果も手に入るということなんだろうと思います。
何でもかんでもインプットばかり、結果をすぐに求めるというマインドにみんながなってしまうと、必要な努力をどんどんしなくなるために、国家全体が衰退していってしまう。
ですから、国家の上からの道徳教育で「みんなのために」とかを教え込むよりも、何かプロセスを頑張る気概を持つ人を1人でも増やしたほうが、たぶん国は発展すると思ったりするわけであります。