今はインターネットで色んな情報が手に入りますから、たくさんアンテナを立てて、情報をいっぱい仕入れるのがええんや、とよく言われます。
確かにそういう時期も必要なのですが、しかし、それをやり過ぎると実は「考えること」を放棄してしまうのです。
何かを考えたり生み出したりするためには、脳の体力と労力を必要とするのですが、実は人間の脳はもともとサボるように出来ているのです。人が体を動かしたり、何か自分で考えたりすることを面倒だと思うのは、まさにその証拠です。
一方で、マズローの「5段階欲求説」などでは、「人間は成長を求める」と言っていて、これも本当なのでしょうが、そういう欲求もありながらもサボってしまうところが人間の面白いところだったりするわけです。
では、情報を入れすぎるとなぜ人間は考えることを放棄してしまうのか。
それは、情報を入れていると脳がラクだからです。
ご意見番とか業界のすごい人の意見をそのまま聞いて、それをあたかも自分の意見であるかのように納得して信じ込んでしまうことがよくありますが、これこそサボり癖のある脳がラクをしている典型例なのです。
特に、今はアウトプットをしなくても生きていける時代にどんどんとなっていっています。
昔であればご飯を作るにしても、自分の手でご飯を炊いたり味噌汁を作ったりしないといけなかったのが、今はお金を出して買って来れば何でも手に入る便利な時代になっていて、自分で何か手を動かしてアウトプットを出す必要性が著しく低くなっているのです。
実はこれはとても危険な状況です。なぜなら、ただでさえアプトプットをしないところに情報を入れすぎてしまうと、まさにインプット過多になってしまうからです。
インプット過多になってしまうと、どんどんサボり癖がついていって、脳の体力と労力を使う「考えること」を放棄してしまう。
そして、「考えることを放棄する」ということは、皮肉なことに何と「自ら自由を放棄する」ことにつながってしまうのです。
自分で物事を考えないで、ご意見番とかすごい専門家と言われる人たちの意見を、あたかもそれが正しいかのように信じ込む。
こんな習慣が身についてしまうと、かつてエーリヒ・フロムが「自由からの逃走」という本で分析していましたが、皮肉なことに「人間自ら自由を奪われることを選んでいく」状況に自ら陥ってしまうのです。
実は、ドイツの暴君ヒトラーという人物は、クーデターとか軍事的な手段によって無理やり政権を奪取したわけではなくて、ドイツ国民の選挙で選ばれた人なのです。
なぜ、ドイツ国民はあんなヒトラーみたいな人を選んでしまったのか。
これは、この本の分析にもあるようなのですが、専門家の意見を鵜呑みにして考えることを放棄した人間に対して、「これは絶対正しい!」ということをヒトラーのあの自信たっぷりの強烈な口調で言われると、「ああ、そうなんか」と信じ込んでそれになびいてしまい、自ら自由を奪われることを選挙で選んでしまったということのようなのです。
ですので、考えることを放棄してアウトプットをほとんどせずに、インプットばかりの生活になってしまうと、そういうことになってしまう危険性があるということなのです。
テレビのトップニュースや新聞の一面記事は、勝手にあそこに載っているわけではありません。編集する人の「意図」によって、「トップニュース」にさせられているのです。
「トップニュース」は本来自分で決めるべきものです。何が重要かそうでないかは、他の誰でもなく、自分で決めればいいのです。
にもかかわらず、「やれ日経新聞読んでる。すげえやろ!」とか「毎日Bloombergなどの英語ニュース見れるからすげえやろ」と言っている人というのは、その時点で考えることを放棄しているということなのです。