今の時代というのは、ぼくが申し上げるまでもなく、これまでのシステムや考え方が崩れてきている、いわゆる「こたえのない時代」と言われる時代です。
その一環として、「専門家」というものの考え方というか、定義みたいなものが変わってきつつあります。
その例は色んなところにありますけれども、例えば、テレビや新聞などの「メディア」は、昔はテレビ局とか新聞社でないと出すことができなかった。
つまり、特定の「ムラ」があって、その「ムラ」に属していないことには、そういう「メディア」が出せない時代だったわけです。
ところが、インターネットが始めるようになって、Youtubeがその代表格ですが、誰でも自分の「メディア」を配信することができるようになったのです。
ぼくたちも、今はまだ「どこの馬の骨やねん」状態ですので、知って頂かないことには始めらないということで、認知活動の一環としてYoutubeに動画を出しまくっています。
ですが、ぼくたちはどこかのテレビ局に属しているわけでもなんでもなくて、ただの「馬の骨」ですが、そんな「馬の骨」でもテレビが出せてしまう。
つまり、かつては、テレビはテレビ局の人しか出せない時代だったわけですが、もうそんな時代ではなくなってしまったわけです。
このような動きは、モノづくりの世界でも起きていて、中でも、これから一番大きな変化が起こるのは「自動車」の世界でしょう。
「車」というのは、かつてはトヨタや日産やホンダなど、最後の組み立てを行うアセンブラーと、その下請けの部品メーカーとが、自分たちの独自の技術を「すり合わせて」車を作っていました。
つまり、「自動車業界」という「ムラ」に属していないと、車を作ることはできなかったわけです。
しかし、これから「ガソリン車」から「電気自動車」の時代になろうとしているわけですが、そのとき一体何が起こるのか。
「ガソリン車」の時代では、その肝となるエンジンの部分を、アセンブラーと部品メーカーで独自の技術をすり合わせてやっていました。
ところが、「電気自動車」になるとエンジンはただの電池とモーターになってしまい、駆動部分は誰が作っても一緒になる。つまり、パソコン生産と同じ現象が起きるということです。
部品がどんどんと共通化していって、言ってみれば、設備さえあれば誰でも彼でも作れる状況にある。つまり、独自の匠の技術が必要な状況ではなくて、部品が業界全体で共通化されて、組み立てるだけという状況になっていくようです。
そうすると、何が起こるかと言うと、「車というものは、別に車メーカーでなくても出せる時代になる」ということです。
実際にアメリカなどで起こっていることは、既存の車メーカーではなくて、どこかのベンチャー企業が電気自動車を作るようになっている。
また、中国でも同じような動きが起きていて、つまり、電気自動車を作る会社というのが、従来の自動車業界とは全然関係のないところから出てきているわけです。
ですから、これまでは「ある特定の『ムラ』にどれだけの期間属しているのか」ということが「価値を提供する」ための基準になっていたのが、今は全然そうではなくなった。
つまり、「技術の民主化」のようなことが起こっているのでしょうね。それによって、テレビも車も誰でも出せる時代になっていっている。
そして、これは面白い現象なのですが、今はお金で何でも手に入る便利な世の中になったことで、もともとサボるように出来ている人間は、だんだんアウトプットをしなくなっている。
そんな時代でありながら、皮肉なことに、アウトプットを出すための手段というのは、テレビも車も誰でも出せる時代になったことからわかるように、実はめちゃくちゃ増えているのです。