最近はコロナ・コロナで世間がやかましくなっていますが、これをどういう風に捉えるべきなのか。
世の中の生活スタイルが「新しい生活様式」という言葉じゃないけど、ひっくり返っていっていて、表面的な「ソーシャルディスタンス」とか手洗い・うがいというのも大事だとは思いますけれども、たぶん一番大事なことというのは、免疫をつけていくことじゃないかなと思うんですね。
それは直接的には体の免疫になるわけですけれども、結局体の免疫力を上げるためには、心の免疫力を上げていくのが一番で、「笑う角には福来たる」じゃないけど、笑って明るく生きている人のところには病気というのは基本的には来ないというのがぼくの信条で、実際に医学的にも証明されてきているわけですね。
ですから、ニュースとかを見ていると恐怖を煽ることばっかり言ってますけれども、逆にああいうのを見なくて普通に生活してる方が、意外とそういうの(コロナとか)と無縁の生活を送れるんじゃないかなと。
その辺は何が正解なのかはわかりませんけれども、令和は本当にマインドの時代になっていきますから、そういう意味では自分の内面とよく向き合ういい機会かなと思っておりまして。
これまで正解だったものが、コロナ騒動が起きてどんどんひっくり返っていってますから、やっぱり自分が本当に何が正しいと思っているのか。テレビのニュースとかご意見番の意見に左右されるんじゃなくて、自分が本当に思っている情熱とか、意思とか、願望に従って生きていく方が、これからの人生って開けていくんじゃないかなと。
今回のこのコロナの騒動は、そういうのを考えるいいきっかけなんじゃないかなと思ったりしてですね、「ステイホーム」とは、今はもうあんな無茶苦茶なことはやらないと思いますけれども、ああいうのも、外にばっかりアンテナを拡げるんじゃなくて、自分の内側に向かっていく良いきっかけなのかなと気がしています。
結局、全ての物事にはウラ・オモテというか、物事は全て多面体ですから、光があたるウラには影があるし、逆に影となっている反対側には光があるので、こういうご時世ですけれども、何か良いものを発見しながら、なるべく楽しく生きるように出来ればいいなと。
ということで、この「みんプロ式」もですね、プログラミング講座とは言いながらも、受講いただいた方が何か日々前向きに生きていけるようになる、ちょっとしたきっかけになればいいなという想いでやらせて頂いています。
プログラミングとか、モノを作っていくということは、日常の嫌な喧騒から離れて、自分の内面に向き合う良いきっかけになると思いますので、プログラミングが仕事のスキルとして必要という面もありますけれども、それ以上にですね、自分の人生を充実させる1つのいい手段としてご活用頂ければという風に思います。
偉大なる事を成就した人々と、依然として凡庸の境域にとどまっている人々との間には唯ひとつの差があるだけであり、それは、偉大な人々は過去のことや、目的達成の途上にある障害や、アレコレの尤もらしい理屈や言い訳には殆ど顧慮する事なく、これから自分の為し得る事、或は、為すべき事を専心熟考する事であります。ところがいろいろな障害を前にして精神がちぢこまり或は感情が鬱屈して自己の真性を発揮することなく、未発見のものを発見すべくこの感覚(第六感)を進展させようとしない者は、結局自分自身の才能を破壊するものであって、つまりは自分自身を終始限定の牢獄に幽閉しているのであります。牢獄とはひっきょうするに自分自身の特質の萎縮、或は、その反射にすぎない事に注目すべきです。天才とはもろもろの条件や環境の中を突進し、貫遂する力を永遠に拡大し伸張し続ける者のことであります。
それから又われわれは、自分で考えようとはしないで他の人々にわれわれの為に考えてもらっています。われわれはすべて彼らに考え出してもらい、形づけてもらい、その結果出来上がったものに頼っているのであります。従って、造り出す方の人は益々有能となり、頼る方は益々従属的になるのです。エマースンはかつて、われわれは片手で得たものを片手で失うと言ったことがありますが、それはこの事だったのです。時計は持っているのに時刻を告げる能力を失った様なものです。自分自身以外の何ものかに頼って自己自身の実相開顕を怠るのは自分自身の天性を弱めることなのです。
「ヒマラヤ聖者の生活研究(ベアード・T・スポールディング)」より