心がラクになる心理学 みんプロ代表の独り放談

死は必ずしも不幸なことなのか

投稿日:2019年1月22日 更新日:

 

(Google音声入力の威力すげ~!!句読点とちょっとした修正しただけ!)

おはようございます。今日はですね、2019年の1月22日なんですけれども。

実は年が明けてからですね、ちょっと身近な人の死に接することがありまして。

こういうことがあると、よく「身内に不幸がありまして」とかって言ったりするんですけれども。

本当に近しい人の死に接した時にですね、ちょっと思ったのが、「死ぬということはほんまに不幸なことなんかいな」というのがちょっと頭によぎったんですね。

「死んだら全て終わりだ」って世界からすると生きてるほうが良くて死んでしまったらもう終わり

ぼくらは当然というか、死後の世界を知りませんから、死んだらどうなるんやっていう風な恐怖とかですね、そういうのがあるから本能的に生きたいと思うのが自然なんですけれども。

元々のキリスト教とかね、ああいうのだと、もう死んだらおしまいですと、死後の世界なんかありませんと、天国か地獄かそれでおしまいみたいな感じの世界観だったりもしますけど。

仏教なんかだとですね、輪廻転生とかっていう風に言われていて、何回も何回もあの世とこの世行ったり来たりと。

じゃあ何のためにかっていうと、心の向上とかですね、魂を向上させていくためにみたいなことを言われたりしまして。

どっちが本当なのかって言うと、最近は科学的にというか、色んな臨死体験の話とかそういう、まあ霊媒師と言うかスピリチュアルとかそういうのがいろいろね、うさんくさいところからだんだんとそれも科学的なものとして認知され始めてきてるという流れから、ぼくなんかは死んでしまったら一旦終わりという感じではなくて、輪廻転生としてですね、何回も何回も生まれ変わるという風なのが本当の姿なのかな。

わかんないですよ、死んでみないと分かりませんからあれなんですけれども、なんとなくそう考えた方が今生きてる意味とかっていうのがあったりするかなと思ったりするわけで。

そうすると、その「死んだら全て終わりだ」って世界からするとですね、生きてるほうが良くて死んでしまったらもう終わりだと。

だから生きたいという風な価値観みたいな感じになりますけれども。

 

輪廻転生の世界観からすると死ぬことは「修行が終わって解放される」?

逆にね、その輪廻転生の世界観からすると、今この世に生を受けてるって言うのは、その心とかですね、魂を向上させるための修行に来とるんや、という風な考え方からしますとですね、あの世の世界っていうのが、実は明るく楽しい世界であって、どっちかって言うとこの世にいることっていうのが苦しみであると。

お釈迦様なんかは「生きること=苦しみ」であると、苦しみっていうのは苦しいというよりは煩悩に苦しめられるという意味らしいんですけれども。

ですから、そうなると逆転しますよね。

死んだ世界の方が楽しくて、こっちはまあ修行に来てる苦しい世界なんだと。

といういう風なことを考えると、その死ぬっていう事っていうのは「修行が終わって解放されるんだ」みたいな、そういう風な考え方もあったりとかしてですね。

だから、その死ぬって言った時に、もちろん残された我々からするとですね、やっぱり物理的にその人がいなくなるわけですから、寂しい気持ちや悲しかったりするわけですけれども、実際死んだ人から見るとですね、この世でやるべきことが終わって去っていくということで、まぁその明るい世界に帰っていくという意味では、必ずしも悲しいことではないのかもしれんなみたいなことがですね、ちょっと頭によぎったりとかしまして。

 

「惜しかったな。もっと生きれたのにかわいそうだな」と思うより「この世でやるべきことをやって天国に帰っていったんだ」と思ってあげた方その人の肯定に繋がる?

まあ何が本当かわかりませんけどね。何が本当分かりませんし、これは残された側のですね、まあ自己満足的なところもあるかもしれませんけれども。

そういう風に考えてあげる、要は、その人は病に伏してちょっと早くで亡くなったんですけれども、それでねその人は「惜しかったな。もっと生きれたのにかわいそうだな」と思うよりは、その「この世でやるべきことをやって、もう一度その天国に帰っていったんだ」という風に思ってあげた方が、その人がこの世で生きていたことの肯定にも繋がるし、成仏にその方がつながるのかなと。

まあこれも自己満足かもしれない。

でもそういう風に考えてあげたほうが、「あなたの人生はムダじゃありませんでしたよ」というか、何て言ったらいいのかわかりませんけれども、その人の人生を肯定する気持ちで送り出してやるということが、実際に自分が死んだ時ですね、思ってもらいたい感情としては、「残念だったね」というよりは「よく人生全うしたよね」という風に思ってもらった方が、自分としては嬉しいかなと言う部分もあったりとかするんで、なんとなくそういう風に思ってあげた方がいいのかなと思った次第でありまして。

だから、まあ分かりませんよね、死ぬということがいいことなのか悪いことなのか、苦しみに向かうのかそれとも苦しみから解放されるのか。

同じことでも見方によって色々変わってくるということなんでしょうけれども。

 

苦しみから解放されたるために自殺をしたりとか人を殺していいのか?

じゃあ、その苦しみから解放されたるためにですね、自殺をしたりとか人を殺していいかというと、それは違うと思いますけれども。

なんとなく、死ぬということが、必ずしもその絶望とか悲しみとかそういう風に向かうだけの側面じゃないんだろうなということですね。

この不思議な感覚をちょっと、しゃべってみたかったという、それだけの話でありまして。

これによってですね、人を殺したりとか自殺することを助長するとかそういうことではなくて、やっぱりそれは、さっきの輪廻転生の世界観とかから言えば、この世に生まれてきたからには、この世でやるべきことがあると。それをしっかり全うするということだし、他の人が全うすることをやっぱり極端な話殺すとかいうことによって邪魔することはよくないなということなので、その辺は誤解のなきようにしてもらえればなという風に思いますけれども。

ちょっと、こういう不思議な感覚を覚えましたんで、放談とさせていただきました。ありがとうございました。

 

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北川 博之 (みんなのプログラミング by Telulu LLC 代表)

北川 博之(みんなのプログラミング by Telulu LLC 代表)

大阪府生まれ。京都大学経済学部経済学科卒業。2000年より、日本生命保険、ニッセイアセットマネジメント、パトナム・インベストメンツ(米国)で、日本株トレーダー・アナリスト、経営企画、システム開発等の業務に従事。主に日本株の売買執行・投資分析、経営計画の策定、海外投資家向け日本株営業、社内トレーディングシステム及び経理システムの開発等を行う。2016年、合同会社てるる設立。スマホアプリプログラマーとして「新感覚脳トレアプリ・記憶戦隊オボエルンジャー」「Meiso-一番シンプルなマインドフルネス瞑想」「ご当地的鉄道アプリ・関西鉄道駅検定(京阪神編)」など、知育・メンタルヘルス系を中心に5タイトル・計10本のAndroid・iOSアプリをリリース。2017年、自身のこれまでの社会人経験・プログラミング経験・子育て経験をを基に、プログラミングを通じて人々の人生を豊かにして、未来に希望の持てる明るい社会の実現に貢献したいとの想いから、ビギナー向けプログラミングひろば「みんなのプログラミング by Telulu LLC」を設立し、プログラミングサポーター活動と心理カウンセリング活動を開始。3児の父。かなり長めのプロフィールをこちらから https://minpro.net/profile-of-ceo

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